E.JOURNAL

インタビュー

Date2023.07.20

「E.JOURNAL」はメンバーが「いま気になる人」に“学び”をテーマに取材していく、EXD.Groupオリジナルコンテンツです。3回目のゲストはパフォーマンス集団・白Aのディレクター菱沼勇二さんです。

先鋭的なパフォーマンスが話題に。

プロジェクションマッピング、ARといったテクノロジーと音楽、ダンスなどを融合し、独自のエンターテイメントを創り出しているパフォーマンス集団・白A。これまでに世界31カ国で約500公演、観客動員数10万人以上を誇るなど、国内外で高く評価されています。

結成は2002年。オリジナルメンバーは仙台にある広瀬高校の同級生6人でした。「僕は中学校の頃から同級生とお笑いコンビを組んでいて。そこに高校の演劇部で一緒だったメンバーが加わりました」と話すのは、白Aのディレクターを務めている菱沼勇二さんです。

6人は高校を卒業後、劇団での活動を経て、白Aとして独立。プロジェクションマッピングという名称すらない時代に、これまでのライブシーンになかった先鋭的なパフォーマンスは大きな話題を集めました。

「あの頃は『No Concept,Good Sense』といった具合で、とにかく自分たちがおもしろいと思う、突き抜けた表現をしよう!という感じでしたね」。

「高校生の頃、レディオヘッドやタランティーノのオルタナティブな世界観に魅了された」と菱沼さん。

仙台から東京、海外へ。
マーケットインの思考に。

白Aに転機が訪れたのは2009年1月。前年12月に開催された劇団の日本一を決める大会に出場したことで、東京の芸能事務所からオファーが届きました。しかし、大会前には解散を考えていたといいます。

「仕事と活動の両立が大変で、優勝できなかったら解散しようと決めていたんです。結局、優勝できず『これまで楽しかったなあ』と年末年始を過ごしていました。そんな時に突然オファーを受けたので驚きましたが、みんなで相談をして『プロとして食べていこう』と覚悟を決めました」。

事務所に所属後、菱沼さんのディレクションや白Aの展開戦略は変化することに。そのきっかけはマネージャーに「君たちは自分しか見ていない。どうすればお客さんが喜んでくれるか考えた方がいい」といわれたこと。そして、このマーケットインの考え方が世界への扉を開くことになりました。

「白Aの持っているカードが、どこのマーケットに合っているか考えると自ずと海外進出が見えてきました。さらに事務所の会長が僕たちのパフォーマンスを見た時に『これは世界向けだろう』といってくれたこともあり、2010年から海外に向けたノンバーバルエンターテインメントにシフトしました」。

その後は狙い通り、海外公演を重ね、着実に人気を高めていった白Aですが、実はその頃、グループ内の状態は「かなりやばかった」と菱沼さんは明かしました。

練習の一コマ。3分のパフォーマンスを完璧にするために1、2年かけることもあるという。

アメリカでの快挙。
その後の分断と結束。

「あれは僕の“暴走クリエイティブ”が原因です」と苦笑する菱沼さん。「世界で成功するために『これじゃダメだ』と自分も周りも追い込んでしまって。グループのムードは悪くなり、会話もない状態でした」。

この状況を見た事務所はグループを「パフォーマンスチーム」と「クリエーターチーム」の分担制に。また新メンバーが加わったことで状態が改善した白Aは、2015年に大きな快挙を達成します。アメリカの国民的オーディション番組『アメリカズ・ゴット・タレント』に出場し、アジア人で初めてゴールデンブザーを獲得したのです。しかし、この結果がグループ分断の引き金となりました。

「その直後から僕は『アメリカに引っ越して世界で勝負したい』と言い出して、それに賛同するメンバーと、家族や友人がいる国内で活動したいメンバーで完全に対立し、大きな溝ができてしまいました」。

「命を削って追い込んだからこそ、あのパフォーマンスができた」と海外での活動を振り返る。

日本にブロードウェイをつくる。

それから1年ほど時間をかけて、ディスカッションを繰り返した白A。出した結論は「日本で世界に向けて活動する」という新しいアイデアでした。

「議論中に国内で訪日観光客に向けて公演するというアイデアが出て。インバウンド観光の気運が高まっていたこともあり、それなら両方の利害が一致するんじゃないかという話になりました」。

そう話す菱沼さんはさらに「結局、感情の面が大きかったですね」と続けました。「時間をかけて顔を合わせているうちに、次第にネガティブな感情は薄れました。それとオリジナルメンバーの阿部が全員と呑んで、『一緒にやろう』と話していたことを知って、心が打たれましたね。最終的には一致団結して、2017年頃に冷戦が終了しました」。

白Aオリジナルメンバーの阿部俊紀さん。

世界を回る中で「日本は観光観劇などのエンターテインメントが少なく、特にナイトタイムエコノミーが弱い」と分析していた菱沼さん。訪日観光客向けをターゲットに、本格的に動き出した白Aの新しいミッションは“日本にブロードウェイをつくる”こと。そのために白Aのステージも大きく変化しました。

「訪日観光客のニーズを捉えて、日本の歴史や文化を全面に押し出したステージにしました。自分が歴史や文化をクリエイティブの要素にするなんて思ってもいませんでしたね」。

事務所の後押しを受けて独立した白Aは、2019年に新宿と横浜に劇場を借り、ロングラン公演をスタート。口コミで評判が広がり、連日盛況の劇場に「めちゃくちゃ手応えを感じていました」と菱沼さん。

しかし、その翌年に予期せぬ事態が。新型コロナウイルスが国内でも発生し、国内外の観光、イベントなどがすべてストップしました。

「最初はすぐ復活するかなと4月まで様子を見ていたのですが、これはしばらく収束しそうにないなと」。

そして、菱沼さんは大きな決断を下します。それは今後の観光は地方のマイクロツーリズムが中心になると予測し、2つの劇場を閉め、各メンバーが地方で活動するというものでした。

「緊急事態宣言開けの5月に、車が全く走っていない東北自動車道をトラックを一人で運転して引っ越したんです」。

メンバーは菱沼さんと同じ仙台をはじめ、新潟や広島、沖縄など各地へ活動拠点を移している。

エンターテインメントで地域課題を解決。

約10年ぶりに仙台で活動を始めた菱沼さん。以前に比べて、仙台への想いが強くなっているのを実感しているといいます。

「地方はコミュニティが濃いので地域に向き合う機会が多くなり、たくさんの魅力を知ることができました。一方で地域課題も見えてきて、それらをエンターテインメントの力で解決することが僕たちの役割の一つだと捉えるようになりました」。

これまでに白Aは、うみの杜水族館とコラボレーションしたナイトアクアリウムシアター『SEATOPIA』、仙台市主催の緑化フェアで上演したアトラクション型演武ショー『伊達ロマネスク』などの作品で地域の魅力を発信してきました。

「自然や歴史、文化といった、かけがえのない地域の資源を主役に、社会的なメッセージなどもストーリーに込めながら、見応えのあるパフォーマンスにすることを心掛けています」。

東京や海外での経験を糧に、環境の変化に合わせてグループの在り方やパフォーマンスを進化させてきた白A、そして菱沼さん。今後は自身のライフワークとして、仙台・青葉山エリアのナイトコンテンツを盛り上げたいと話しました。

「例えば仙台城址は市内の夜景が一望できる最高のスポットで、全国的に大きな石垣や豊かな森林もあって観光資源が豊富なんですよ。でも、市民ですらそんなこと知りません。その魅力を常態的に発信できるコンテンツを創りたいですね」。

実際に白Aでは、仙台城址などで伊達の歴史・文化を遊んで学べるテーマパーク『伊達パーク』を開催するなど、そのアイデアを形にしてきました。

「世界中の人が訪れるスポットになるには、あと10年、20年はかかるかな」。そう、つぶやいた菱沼さん。世界と地方の人々に驚きと感動をもたらしてきた創造力で、これから先の筋書きを描いています。

白Aのモットーは“EMBODY THE IDEA.”。「アイデアを生み出す努力と、それを体現する行動力を持ち続けたい」と語る。
NIGHT AQUARIUM THEATER 「SEATOPIA」|仙台うみの杜水族館
アトラクション型演武ショー「伊達ロマネスク」

各公演の詳細は下記リンク先にてご確認ください。

■Embody the idea.|白A公式サイト
https://www.siro-a.com/

■NIGHT AQUARIUM THEATER 「SEATOPIA」
https://www.uminomori.jp/special/seatopia_uminomori/

■アトラクション型演武ショー「伊達ロマネスク」
https://www.more-jam.com/dateromanesque

テキスト:遠藤啓太 写真:佐藤功弥